今日は11日目歩き遍路2018年5月21日の旅日記
青空にケーズデンキのお店の色が
はえるな~。
こういう、
いつも普通に見ていたものを目にすると
何だか嬉しくなる。
安芸球場前
ここはすぐ上が駅になっている。
この建物はベンチなどがあり休憩所?
になっているみたい。
よし、今日はここでテント張れそうだな。
様子を見よう。
このとき、まだ14時前だったため、
近所をぶらついてみることに。
近くのローソンでアイス売ってた。
たまにはいいよね。
広場発見。
さっきのところがダメでも
ここでもテント張れそうだな。
ちょうど15時になった。
とたん、
広場の時計が
大きな音楽とともに動き出した。
いいタイミング
今日はなんとかお風呂に入りたいと思い、
近くに銭湯がないか、
スマホの電源を入れ検索してみる。
野宿だとスマホを
いつ充電できるかもわからないので、
普段は電源を切り、
ほとんど使うことがない。
まあ、こういう旅の時くらい
使用を控えたいよね。
広場から歩いて15分くらいのところに、
ちょうどよく銭湯を見つけた!
やっているかわからないけど行ってみる。
やってました。
安芸市にある「元気館」
久しぶりのお風呂。
ちょうど、
元気館の管内に入ろうとするとき、
中からおばちゃんが出てきた。
すれ違いざま、
おばちゃん「ちょっとこれほら、持っていきな」
そういって缶コーヒーをくれた。
おばちゃんは、
そのまま自転車に乗り
すぐに行ってしまった。
今日、3回目のお接待。
普通に生活を送ってて、
知らない人から一日3回も
物をもらうことなんてないよね。
四国ってとっても特別な場所なんだ。
ー。
お風呂を出て、
海沿いの道を歩きながら
広場の方へ戻る。
もう夕暮れ時に近い時間とはいえ、
まだじっとりと汗をかく。
海辺に座って瞑想をする。
瞑想の後は、
先程いただいたコーヒーと、
お昼に残しておいたトマトを食べる。
瞑想をして、
コーヒータイム。
それから暗くなるまで読書をした。
このとき読んでいた本が、
今の自分にピッタリの描写で笑った。
荷物が重い重いといいながら、
本は3冊持ってきた。
しかもハードカバーの本2冊、
文庫1冊。
読み終わったら
持ってきたレターパックに入れて
即送り返すつもりだったけど、
昼間は歩いているし、
夜は誰かと一緒だったり、
空いた時間には日記を書いたりしているから、
意外と読む時間がない。
だけど、
旅の途中で読む本というのは、
普段の何倍も心に響くんだ。
旅先で本を読む贅沢はこの上ない。
-。
海辺でたそがれていると、
一人のおじさんが近づいてきた。
おじさん「おめーどっからきた?」
ぼく「え、埼玉です!」
命令口調のおじさん、
だけど、どこか憎めない感じの人。
ちょっと雑談をする。
おじさんは前、
警察署に勤めていて、
現役を引退して、
時間がある時にはこうして
町内の見回りをしているのだとか。
そして、お遍路さんなんかを見かけると
声をかけているといっていた。
おじさん「今日は飛行機雲がよくでてるな」
ぼく「ほんと、奇麗な空ですね」
最高の空。
知らないおじさんと一緒に見上げる。
・・・。
もっと違う人と見たかったな。
ー。
おじさん「おめー今日はどうすんだ? 野宿か?」
ぼく「はい、そうです!」
おじさん「どことまんだ? 乗れ! いいとこあっから」
おじさんはそう言って
自分の車に乗れといってくる。
歩き遍路をしていると、
こうして親切で
車で送ってくれたりする人もいるとは聞いていた。
だけど、歩き遍路の人の中には
こだわりがある人もいて、
絶対車には乗らず、
自分の足で歩き通すという人も
いるらしい。
僕は、もしそういう状況に出くわしても、
そういったこだわりよりも、
出会いや親切心に応えることを
優先したいと思ってきた。
それに、行き先はわかってる。
おじさんは球場前に
いいところがあると言っていた。
結局、一度行った場所に戻るだけだ。
だから、歩く道を
ショートカットしたことにはならない。
まあ、それはどっちでもいいけど。
おじさんは僕の大きな荷物を車に積んでくれて、球場前まで数百メートルの道を送ってくれた。本当はもっと海辺で海を眺めていたかったけど、親切心はしっかりと受け止めておきたい。
球場前まで連れてきてもらい、
丁寧にお礼をいい、
納札を渡してから別れた。
今日4回目のお接待だった。
地元のおじさんが「大丈夫」と
言ってくれたおかげで、
安心してテントを張れた。
今日はそれほど歩いていない。
だけど、何だか充実した一日だった。
僕はこの旅でいただくどんな親切も
受けていきたいと思っている。
というのも、親切って、
するほうもとっても
勇気のいることです。
遍路をしていると、
中には態度の悪い遍路の話も
たくさん聞きます。
せっかくいただいたお接待を
金額が少ないからといって
投げ捨てた人がいた
なんて言う話も聞きます。
そんな対応をされたら
せっかく親切をしてくれた方は
もう誰にもしようとは
思わないはずです。
親切を受けるというのは、
自分だけの良しあしではなく、
次の人へつなぐことだとも思っています。
自分が快く親切を受け止めることで、
その方はきっと
次のお遍路さんにも親切にしてくれます。
そういった循環が、
こうして今の遍路文化を紡いできたんだと思います。
そういった心の在り方のすべてが
遍路文化なんだって思います。
だから僕はこれからも
すべての親切を受けていきたいと思う。
例えそれが自分にとっては
不都合なことであっても。
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