2018/5/13の遍路日記
遍路の最難所のひとつ12番札所「焼山寺」へ
今日はこれから、鴨の湯を出発し、
昨日行った11番札所藤井寺を再び訪れ、
そこから焼山寺を目指します。
全遍路の行程中1,2位の難路ですが、
今日はあいにくの雨予報。
何とかもってくれればと祈りつつ、
雨具の用意を。
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穴空いてるやんけ。
よく見ると、
うちがわのコーティングが劣化ではがれ、
いたるところに穴が。
しょうがないので、
絆創膏で修復。
お世話になった鴨の湯さんの
小屋を簡単に掃除し、
いざ出発。
靴を履こうと思ったら足元にこんなものが。
![](https://meisou-labo.com/wp-content/uploads/2022/09/P1430874-800x601.jpg)
ドイツ人の女性が置いといてくれたんだ。
―。
![](https://meisou-labo.com/wp-content/uploads/2022/09/P1430880-800x601.jpg)
藤井寺に戻ってきた。
前回の記事では境内の写真あげなかったけど、
こんな感じ。
![](https://meisou-labo.com/wp-content/uploads/2022/09/P1430884-800x601.jpg)
![](https://meisou-labo.com/wp-content/uploads/2022/09/P1430876-800x601.jpg)
ここで、ドイツ人女性と再会。
お菓子のお礼を言う。
ドイツ人女性
「ドイツのエナジースナックだけど、あたしにはもう必要ないから、あなたが食べて!頑張ってね」
ぼく
「ありがと、きみも残りの旅を楽しんでね!」
こういう小さな出会いが
次の一歩を進めるんだ。
ー。
この左側のほうから12番札所焼山寺へ向かいます。
![](https://meisou-labo.com/wp-content/uploads/2022/09/P1430898-1-800x601.jpg)
さて、焼山寺へ向けここからが本番。
だんだんと登っていく。
![](https://meisou-labo.com/wp-content/uploads/2022/09/P1430902-800x601.jpg)
人生の達人たちに出会う
登り始めてから15分ほど。
ちょっと開けた場所に休憩所がありました。
そこにご年配の男性2人。
おじさん
「どこからきたんだい?」
ぼく
「埼玉からです」
おじさん
「大きい荷物だな~、88ヶ所全部まわるのかい? ちょっと休んでいけば?」
歩き始めて間もないけど、
まあ、これもご縁と一緒に休憩する。
年のころは70歳前後?
お二人とも、仕事をすでに引退し、
毎日の日課でここまで散歩にきているそうだ。
30分くらい話した。
おじさんたちは、
今が一番楽しいと言っていた。
人生の達人だと思った。
おじさん
「そうだ、小物入れいるかい? うちの姉がお遍路さんのために作ってるんだけど、こうして出会った人にたまにあげてるんだよ。」
ぼく
「いいんですか? ぜひいただきます」
おじさんのおねえさんだから、
まぁおばあちゃんだ。
お遍路さんのためになにかしたいと、
手作りの小物を作っているんだって。
ぼく
「ありがとうございます。これと一緒に最後まで回ってきます。お姉さんとおふたりのご健康も一緒に祈ってきますね!」
そういって、納札を3枚渡し、お別れした。
ずいぶん時間がたった。
何とか天気のもっているうちに少しでも先を急ぎたかったが、
こういった出会いの一つ一つを大切にしようと思った。
きっと、本当に大切はことは目標を達成することじゃない。
とくに遍路では。
お遍路さんを歩く目的は人それぞれ。
絶対に歩きにこだわる人、
旧道を歩くことにこだわる人、
結願までの日数にこだわる人、
人それぞれたくさんの想いがある。
だけど、極端な話、
ある目的を達成するためにする遍路は、
遍路を使った目標達成であって、
遍路そのものではないんだよね。
記録や試練が目的であれば、遍路じゃなくてもいい。たまたま遍路を手段として使っているだけ。それはそれでもちろん素晴らしいけど、遍路を手段としてではなく、遍路そのものを目的としたとき、遍路の本当の意味が見えてくると思う。
それは、道行く中で通りすぎる町や、人の想いを一緒に背負い、それを最後まで運んであげることなんだと思います。そして、その思いの中から人生を学ぶ。そんな風に思います。
お釈迦様の言葉を思い出す
お釈迦様の時代、子供が死んで悲しみのどん底にいる母親がいました。その人は、子供が死んだ後もそれを認めず、子供を抱いて薬を探し求めていました。「だれか、この子を助けられる薬を知っている人はいませんか。」必死の思いで探し求める母親に、ある人が声を掛けました。「釈尊なら知っているでしょう」母親はそれを聞き、お釈迦様のもとに行きました。
「お釈迦様、どうかこの子を助ける薬を教えてください」
その母親に対しお釈迦さまは
「町中を探して、いまだに死者の出たことがない家から種をもらってきたら、子供を生き返らせてあげます」
そういいました。
母親は町中を必死で探しました。だけど、死者が出たことのない家を見つけることはできませんでした。その時母親は、生きている人間よりも死んだ人間のほうが多いことに気づきました。母親がお釈迦様の元に戻ると、お釈迦さまは、誰にでも死が訪れることをさとし、子供の死を受け入れさせました。
お釈迦さまは言います。
死を知り、意識して生きる一日は、
死を知らず、意識せずに生きる100年に勝ると。
遍路の旅というのも、このお話の母親と同じ旅です。
たとえ探し物が、死に対する答えではなくても。
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後記
今日で3日目の遍路旅。
1番札所から11番札所藤井寺までおよそ40キロ歩いてきました。
今日の出発地藤井寺から焼山寺までは12.9キロ。
3度の登りと2度の下りを経て到着します。
この焼山寺へ向かう道は、
1200キロの遍路道の中でも最難所の一つといわれています。
後記になりますが、12番を超えたあたりで、
歩き遍路の姿が激減します。
ここで諦めて帰る人も多いようです。
気持ちはわかります。
―――
おまけ
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