瞑想は何分やれば効果が出るのでしょうか?
今回は瞑想の時間についてのお話です。
後記ではまた少し、
瞑想と坐禅の本質的な違いに触れています。
あわせてお読みいただけると嬉しいです。
瞑想の効果を感じるには何分すればいい?
そらいろ瞑想ラボでは、
最初に目指す目標として30分とお伝えしております。
結論から言いますと、
本当に瞑想に慣れてきたら、
40分から70分の瞑想を一日1回~2回
行っていただくのがベストです。
※ここでいうベストとは、
日常生活の中で行う瞑想に対してです。
あまり時間がとれない!瞑想で効果をだす最低時間は?
瞑想で効果を体感しようと思ったら、
最低でも15分以上
の瞑想に取り組んでください。
15分くらいをしっかり毎日
取り組んでいける方は、
効果の実感もしっかりあるように思います。
15分以上の瞑想を一日2回ほど
行っていただくのが効果的です。
5分間瞑想は効果がある?
「瞑想は3分でも5分でもいい」
そんなような記事をよく見かけます。
確かに、やらないよりはずっと良いのですが、
例えば、毎日5分歩き続けば、
1か月で合計2時間半歩いたことになりますが、
じゃあその分ダイエットできたかというと、
できませんよね?
勉強でも運動でも仕事でも、
どんなことでもそうなんですが、
人間がある行為に取り掛かってから、
集中力などの精神的な状態や、
体が温まるなどの肉体的な状態が
ある一定の状態に達するまでには
ある一定の時間がかかります。
例えば、毎日5分だけエアコンをつけて、
5分経ったら消すを1か月繰り返したとします。
そうすると、約2時間半の時間
エアコンをつけていたことになります。
対して、エアコンを連続して、
2時間半つけて、それから消したとします。
この場合、前者のほうが圧倒的に
電気代が高くなるのをご存知かと思います。
初動の動きというのは
とても効率が悪いのです。
瞑想も、5分程度ですと、
下手をしたら心拍数が落ち着いたころには
もう時間が来てしまう
というようなことになってしまいます。
なので、可能でしたら、
最低でも15分以上の時間をとって
瞑想を行うことをお勧めいたします。
5分の瞑想でも効果をだす方法
そうはいっても、
5分でもなんとか瞑想の効果を出したい!
という方がいるかもしれないので、
5分でも瞑想の効果を出す方法を簡単にまとめます。
まず、5分の瞑想の頻度を多くすることです。
最低でも3時間に一度5分瞑想をします。
休憩中、移動中、待機時間、
あらゆる隙間時間を使って
5分間瞑想をします。
そうすることで、
5分の瞑想であっても
効果を上げていくことができます。
5分間のおすすめ瞑想法
筋トレでも、時間がない場合には
強度を上げてトレーニングするように、
5分間で瞑想の効果を出そうと思ったら、
瞑想の強度をあげます。
具体的には、
呼吸法とイメージとアファメーションを
同時に行います。
呼吸はだいたい1対1対2くらいの割合で、
吸う:止める:吐くを繰り返します。
例えば、5秒で吸うなら、
5秒止めて、10秒で吐く、
というような感じです。
これは厳密でなくて構いませんので、
自分の肺活量にあった時間で
行ってください。
ただ、なるべく吐く息を
長くするように心がけてください。
それからイメージは、
自分のなりたいもの、
欲しい物、望むもの、
そういったポジティブなものを
イメージします。
光のイメージや
エネルギーのイメージ、
グラウンディングと呼ばれるような
地球とのつながりのイメージなどでも
構いません。
ご自分にあったイメージを使います。
イメージにあわせて、
自分に対する肯定的かつ創造的な言葉(アファメーション)を繰り返します。
たった5分でやることが多くて
大変だと思うかもしれませんが、
ちょっと慣れれば、
文章で読むより簡単にできるはずです。
ただ、イメージとアファメーションの
作り方は少しコツがいります。
作り方が分からないという場合や、
作ってみたけど、
合っているのかわからない
というようなときはご相談ください。
3時間に一度、
この3つの瞑想を合わせて行うことで、
5分でも、
自分を変えるのに十分なだけの
瞑想ができるはずです。
是非試してみてくださいね。
ー後記ー 瞑想と坐禅の違いのお話
一寸座れば、一寸の仏
という言葉があります。
これは、少しの時間でも
坐禅を組んだなら、
その分仏さまに近づくんだよ。
という言葉です。
この言葉を知っている方は、
今回の記事を読んで、
「1分でも毎日座り続ければ、仏に近づけるじゃないか」
と思われるかもしれません。
しかし、それは坐禅のことを
指して言っている言葉です。
瞑想がある目的を達成するための
「手段」であるのに対し、
坐禅は「在り方」であり、
坐禅そのものが目的です。
つまり、坐禅は坐禅を組んだ瞬間に
目的を達成しているのです。
そのため、1分であっても
仏に近づくというわけです。
ただ、さらに厳密にいうと、
坐禅は仏に近づく行為ではなく、
仏そのものであることの一つの形です。
なので、「一寸座れば一寸の仏」という言葉は、
当たり前のことを言っているに
過ぎない言葉なのです。
「一寸座れば一寸の仏」という言葉は
今回の記事ともなんら矛盾するものでは
ありません。
こういえばわかりやすいでしょうか?
「一つ盗んだら、一つ分の盗人」
大強盗なんか犯さずとも、
毎日一つずつ物を盗んだって、
立派な盗人です。
例えは悪いですが、
坐禅も論理的には同じ事です。
何時間も坐禅を組まずとも、
毎日1分ずつ坐禅をしたって
りっぱに仏です。
ただ、仏になることと、
頭がよくなって
お金を稼いだり、
身体を整えて
健康になることとは
まったく違います。
瞑想は能力開発であるがゆえに、
効率というものが存在します。
しかし、坐禅は在り方であるがゆえに、
効率などとは無縁です。
瞑想というものがどんなものなのか
ほとんどの人が曖昧な理解しか持っていませんが、
これを読んでいるあなたは、
誰よりも瞑想に対する理解を
深めていっていただきたいと思います。
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