坐禅、瞑想中に考えないとはどういうこと?なにを考える?

坐禅というと、
「無念無想」
というイメージがあります。

お寺などで坐禅を教わると、
「なるべくなにも考えないようにしてください」
ということを言われます。

曹洞宗では、
頭に浮かんだことを「捨てる」と
表現することもあるようです。

※指導者によってですが。

この、なにも考えないこと、
無念無想、無心、
そういったことの理解についてですが、
これらは、一言でいえば

「評価しない」

ということです。

評価というのはなにも、
良い悪いを決めることだけではありません。

例えば、坐禅中に車の音がします。
その時あなたは、
「車の音だ」と認識します。

それが評価です。

音は音です。
例えば坐禅中に、
夕暮れ時の鐘の音が聞こえたとします。
その時あなたは、

「鐘の音だ」と認識します。

また、

「夕暮れ時だ」と認識します。

それは評価です。

音は音です。

ほかにも、
どこかの家から夕飯を作っている
匂いが流れてきたとします。
その時あなたは、

「カレーのにおいだ」

とか思うかもしれません。

このように、
自分の五感が感じ取ったことに対して、
それがなんであるのかの
「認識」が評価するということなのです。

聞こえる音を聞こえる音そのままにとどめ置き、
匂いを匂いそのままにとどめ置き、
見えるものを見たままにとどめ置く。

そういったことが「無念無想」とも
「無心」とも言われる状態です。

この感覚というのはなかなか難しいのですが、
まずは頭で正しい理解をして、
それから実践あるのみです。

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