④4日目【なにが幸いすることか】13番札所大日寺~14番札所常楽寺

2018/5/14の遍路日記

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14番札所「常楽寺」

生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く
死に、死に、死に、死んで死の終わりに冥し

空海の書いた「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」という書物の一説だ。

意味は、
生まれ出てもその生がなにかわからず、
死んでみても死がなにかわからない。

という感じ。

そういう無知の自覚から
仏道への旅が始まる。

死や生の意味と向き合うのはそう難しい事じゃない。

小鳥や虫の一匹であっても、
その意味と真剣に向き合える時がある。

それは、こんな遍路修業みたいな特別のタイミング。

子スズメは、僕がいなくても死んだかもしれない。
僕がいなければ死ななかったかもしれない。

いずれにしても、
その生前の生に意味を与えるのは、
いつだって生きている側の人間なんだ。

さっき撮った子スズメの写真を見返し、
もうこの世にいないのかと思うと、
死がとても身近に感じられた。

また一つ、
巡礼でのお祈りが増えた。

ー。

14番札所常楽寺(じょうらくじ)
その境内が天然の岩だらけ。

数組のお遍路さんを見かけるが、
今までのお寺のように混雑した感じはない。

打てるところでは鐘を打つのが
お遍路さんの作法。

いつものようにお勤めを終え、

納経所に向かうと先客が。

「すみませーん、あけてくださーい」

ん~、ドアを開けると猫が入ってしまいそうだ…
入れてしまっていいのだろうか。

そんなことを考えていると・・・

猫が増えた。

まだまだいた。

ここは有名な猫寺に違いない。

猫に入られるも、
なんとか一緒に納経所へ入る。

無事に14番札所常楽寺でのお勤めを終え、
この猫寺を後にする。

なにがご縁につながることか

次のお寺15番札所国分寺(こくぶんじ)
までは、常楽寺から800メートル。

15分ほどで着くだろう。
半分ほど来たところで、
山門に杖を忘れてきたことを思い出した!!

ああ、絶対忘れるだろうと常々思ってるけど、
(すでに一度やってるし)
取り返しのつくところで気づいてよかったと安堵する。

山門まで戻る。

すると、山門に一台のカブが止まり、
(新聞配達の人が乗ってるようなバイク)

カブから降りたおじさんは近くのベンチに腰を掛けた。

「歩き遍路さんかい? どこから来たんだ?」

そうぼくは声をかけられた。

続く

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