瞑想の効果!自分を変えたい人に瞑想で得てもらいたいものはこれ!

瞑想には段階があります。

 

技術的な面もそうですが、

それ以上に、瞑想の目的面でのことです。

 

ここではざっくり上中下の三段階にわけます。

目次

瞑想の3つの段階 

 

瞑想の目的「下」

瞑想の目的の「下」は、頭を良くしたり、直観力をつけたり、気持ちを落ち着かせたり、そういった能力アップに関することです。

 

これは、瞑想会の案内でも前面に押し出しているPRポイントなので、それがなんで「下」なんだと思われるかもしれませんが、後の2つに比べたら大したことありません。

 

瞑想の目的「中」

瞑想の目的の「中」は、合理性を学ぶことです。これは、合理的にものを考え、その判断にしたがって行動できる人間になるということです。合理的に考えるというと、そんなこと? と思うかもしれませんが、仏教には八万四千の経典があるといわれます。厳密な数はさておき、ものすごく多いです。全部集めると、一つの図書館が仏教経典だけで埋まるくらいです。

この仏教経典はなにを教えているかと言ったら

「合理的に考えること」を教えてるんです。

ありとあらゆる手を尽くして、

この合理性を教えるのが仏教です。

仏教は時には矛盾して聞こえるかもしれませんが、、、

 

というか、少し話がそれますが、

仏教は、基本は釈迦の教えです。

釈迦は、30代で悟りを開き、

人々に教えを広め始めてから、

80歳を過ぎるまで説法を続けました。

 

釈迦は、誰に対しても必要な人には説法をしました。

数十年の間、数万人の人間に教えを説いていたんです。

 

しかも、個人個人の問題をしっかり解決できるように、

個別の内容で説法をしました。

簡単に言うと、頑張りすぎな人には

「頑張らなくていいよ」といい

頑張ってない人には

「もっと頑張りなさい」というようなものです。

 

これを対機説法といいます。

相手がしっかり理解できる言葉を選び、

相手を導いてあげる方法ですね。

 

その点を考えないで仏教の話を聞くと、

矛盾に感じることが多々あります。

 

そういった事情はともあれ、

仏教は「合理性」を教えるのだということを覚えておいてください。

 

つまりもし、合理性をしっかり理解して、行動できれば、

仏教の八万四千の経典を理解したようなものです。

 

大げさに聞こえるかもしれませんが、

本当です。

 

いや、さらに話がそれていくんですけどね、

そのことの証明、

つまり、合理性を理解すれば

八万四千の法に通じるということは、

現在ある日本の宗派が証明しています。

…、興味ない人もいると思うので、

その話はここではやめておきます(;・∀・)

 

さて、本題に戻ります。

 

自分を変えたい人に一番に目的にしてもらいたいのが、

この「中」の「合理性を学ぶ」ことです。

 

人間には、成長過程で培った思考や行動の癖があります。

それは多くの場合合理的ではありません。

例えば、自分がいいとか悪いとか感じるのは、

そのもの自体にいい悪いがあるわけではなく、

そのものと関連した自分の中の思い出に

いい悪いがあるのです。

 

つまり、あなたが何を良しとしてなにを悪いとするかは、

言ってみればたまたまです。

 

それはそれでいいのですが、

その、たまたま培った行動や思考の癖が、

時に人の心の問題につながります。

 

精神医学の中には

「認知行動療法」というテクニックがあります。

 

これは、そういった思考の癖を直して、

精神的な症状を抑える治療法です。

 

つまり、この「合理的に考える」ということは、

精神医学でも使われている方法なんです。

 

「合理的に考える」ことは、

こころの病気の人だけに有効なのではありません。

 

・なんだかやる気が出ない。

・不安や寂しさがいつもある。

・自信を持ちたい。

・成功するために自分を変えたい。

などなど

 

そういう、誰もが持つ思いを実現するのにもとても役に立ちます。

 

瞑想を通して、その合理性を学べます。

 

ただ、多くの瞑想教室や瞑想関連の本、

瞑想の指導者は、瞑想の技術は教えてくれますが、

この合理性を身に着けることの大切さは教えてくれません。

 

だけど、瞑想で合理性を学ばなければ、

お寿司屋さんに行って、ガリだけを食べて、

「おいしかったね」といって出てくるようなものです。

 

そらいろ瞑想ラボに来てくださっている方はもちろん、

このサイトにいつも遊びに来ていただいている方は、

ぜひ本物の瞑想を習得してください。

 

瞑想の目的「上」

瞑想の目的の最上位は、

「人生の大安心を得る」ということです。

これは、死を前にしても揺るがない境地です。

 

死に臨んで役に立たないような瞑想は偽物です。

 

自分の命が尽きるときには、

坐禅を組んで死んでやろう。

 

それくらいの気概を持てるようになるのが、

本当に目指すべき瞑想の境地です。

 

週数回しか瞑想をしない人でも、

一年以上瞑想に関わっている人なら、

是非この境地を目指してください。

 

瞑想の目的 圏外

 

三段階までと言いながら、

一つ多いのですが、これはもはや目的というレベルではありません。

 

目的や手段というものを超え

ただ「存在」として「ある」ことが、

瞑想の天界クラスです。

 

ただこれ、難しいのは、、、

禅の悟りの境涯なんです。

 

以前から、坐禅は瞑想の行きつく先だということは言っていますが、

まさに瞑想の行きつく先はここなんです。

 

ここは一切無視していただいて構いません。

ただ、知識として知っておいていただければ充分です。

 

 

まとめ

 

とても長くなってしまいましたが、

そらいろ瞑想ラボでは、あなたに、

瞑想を通して、「能力アップ」と「合理性」を身に着けていただきたいと思っています。

その上でできたら、「人生の大安心」の境地を目指してみてください。

 

 

 

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