成長を妨げる悪意の受け止め方: 自分を変える力を持つ人の思考法

最近、瞑想会のある人を見ていて、
本当に素晴らしいなと密かに思っています。

(密かにというのも、別にあえて黙っているわけではなく、たまたま、その方とゆっくりお話する時間がないので、直接伝えられていないというだけのことなのですが)

その方は、
外から見ていても、
どんどん変わっているなというのがわかるのです。

落ち着き具合と言いますか、
持っているオーラと言いますか、
そういう雰囲気もまるで違いますし、
いつも誰かのために何かをしてあげようとしている
その思いを行動にしっかり移しているところも、
本当に素晴らしいと思います。

その方はここまできっと、何度か瞑想会に来るのをやめようと思ったこともあったはずです。

それはご本人も言っていたことですが

「それでもここで行かなかったら変われない」
という思いで、
なんとか来た日もあったそうです。

だからこその
「今日の変化」なのだろうと思います。

その方はこれからも確実に変わっていきます。
その姿を見ていて
心から嬉しく思います。

もちろん、
自分の変化に気づくのは、
自分が一番遅いものですから、
それを本人に伝えたとしても、
まだまだ実感はないかもしれません。

それでも私たちは、
その方がどれだけ変わってきているのか知っています。

※※※

さて、その方を見ていて、過去に変われなかった人たちを思い浮かべた時、その違いにはっきり気づきます。

大きな違いにはいくつかありますが、
最も変わることをできなくさせる
致命的な行為が一つあります。

それは、
他人の言動を悪意に受け取る
ということです。

例えばもし、
今回の話に挙げた、
自分を変えることができている方が、
瞑想を学んでいる途中、
しの崎が言ったなにかの一言を「悪意」に捉え、
「自分のことをバカにしている」
「自分がダメだからそんなことを言うのだ」
「あの人は私のことを知らないからそんな風に言うんだ」

というように捉えていたとしたら、
もう来るのをやめていたでしょう。

実際にそういう人というのは一定数います。

以前、定期的にカウンセリングや瞑想会に来ていただいていた方がいました。

そしてある時、その方の誕生日がカウンセリングの日にちょうど近かったため、
プレゼントをあげようと思い、専門店で美味しそうなドレッシングの詰め合わせを購入しました。

そしたらその方は、
「私が貧乏だと思ってそういうものをくれたのか」
というような質問をして
それから連絡が来なくなりました。

またある人は、病的な頭痛が治らないと相談に来たのですが、話を聞いているとそれまでに何百万もスピリチュアルや様々なことにかけてきたというのです。
そこで
「何百万もですか!」
というと、その人は、
「私のことを馬鹿にしてる」と言って怒りだしました。

その人は私の言葉を
「何百万もですか!(そんなにかけるなんてあなたバカですね)」
と自分の中で相手の言動を悪意と勝手に解釈したのです。

しかし本当のところはそうではありません。

「何百万もですか!(私たちと同じ経験をした人がいた!諦めずに頑張ってきてすごい!)」
ということでした。

こういうことは大なり小なり皆さんにもたくさん経験があると思います。

「今日のご飯はめちゃくちゃ美味しい」と言ったら、
「じゃあいつもまずいってこと?」と怒られたり、

「今日とっても綺麗じゃない」と言ったら
「それっていつもがひどいってこと?」
不快な顔をされたり、

恋人の良いところを友達に話していたら
「それって幸せアピール?」
嫌味を言われたり、

旅行に行くと話したら
「お金があっていいね」
妬まれたり、

それらは全て「悪意」に受け取るということです。

それでもまだ、
「自分が悪いのだ」と自己反省に繋がる人なら良いのです。
それが成長したいという思いへの原動力になるからです。

しかし、「悪意」と受け取り、
他者批判に繋がる人は、
変わることができない人です。

結局、「相手が自分を傷つけようとしているのだ」と思えば、
もうその人とも会うことがなくなり、
本当に助けようとしている人であったとしても、
あるいはその人にとって本当に有益な人であったとしても、
自らその関係を断ち、
成長のチャンスを失うからです。

そういう人に稀に、
何年も経って会うことがあると、
やはり結局、何年も前と同じことを言い続けていたりします。

そうなった時にできることは、
死ぬまで、
相手が悪いと自分の中で自分を正当化し続けるだけです。

相手の言動は悪意に受け取るということは、
そのような理由から、
自分が変われなくなるのです。

仮に例え、
相手が本当に悪意を持って
言葉や行動を行っていたとしましょう。

しかしそれでさえも、
悪意として受け取らないことです。

この人生の幸せは
現実がどうかではなく、
心の受け止め方に全てがかかっているのですから。

また、冒頭で紹介した瞑想会の方の
一人の人の生き様、成長が、
私たちに学びをシェアしてくれて、
こうして一つの記事にすることができているのですから、
この記事を読んで少しでも何かを学び、
得るものがあったのでしたら、
それはまた、その方のおかげにほかなりません。

悪意に受け取るということは
自分の心(自尊心)を守るためだけの
すべての断絶であり

悪意に受け取らないということは
すべての経験を学びに変え
人生を紡いでいくことでもあります。

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