2010年から人類の知能は著しく低下してる!?
最近、私たちは気づかぬうちに、
知能の低下傾向にあるらしいのです…
1990年代以降、特に2010年ごろから、
人類の知能指数が徐々に減少している
というデータがあるそうです。
マルチタスクと知能低下
その背後にある原因の一つが、私たちの生活に浸透しているマルチタスクです。マルチタスクとは、なにかをしながら別な作業を同時に行う「ながら作業」のことです。
例えば、スマホで動画をみながら本を読んだり、勉強しながらLINEのチェックをしたりするのがマルチタスクです。
スマートフォンの普及が進むにつれ、スマホを見ながら何か別の作業を同時に行うことが日常化しています。しかし、これが私たちの知能に悪影響を及ぼしているというのです。
今は、仕事をしてても勉強してても、お風呂に入っていても、ご飯を食べていても、大抵私たちの近くにはスマホがあり、スマホを見ては作業して、作業してはスマホをチェックして、というのが当たり前になっています。
一見、一度に複数のことを行うのは効率が良く、頭がよさそうにも思えますが、それは違うようです。ある研究によれば、自分自身が複数の作業を上手くこなせていると思っている人ほど、実際には知能指数が低いというデータがあるそうです。これは、複数のことに同時に注意を向けることが、注意力や集中力を低下させる結果をもたらすことを意味します。
スマートフォンが知能低下の罠
このマルチタスクの一番の原因は、スマホと言えるでしょう。仕事や勉強、日常のあらゆる状況で、スマホを手放すことが難しくなっています。注意力を分散させ続けることは、集中力を奪い、結果的に知能低下に繋がります。
人間の脳は、次から次に意識をパッパと切り替えることができず意識を切り替えても、どうしても前の作業の意識が残ってしまうそうです。
これを「注意残余」と言います。
だから、例えば、集中して勉強しているのに、LINEやメールの通知がくると、それだけでそちらに意識がとられ
「いったい誰からだろう」
「なんの通知だろう」
と気になり、元の勉強に集中力が戻るのに数分かかってしまうそうです。そうやって、集中した状態から注意をそらし続けると、机に向かっている時間の割にはまったく身につかないというようなことが起こります。
ドーパミンと集中力の関係
驚くべきことに、私たちの脳は本来、注意を散漫にするようにできているのだそうです。というのも、集中状態から意識を別なところに向けると脳の中にわずかなドーパミンが出るそうです。ドーパミンは快楽物質と呼ばれ、気分を良くする働きがあります。
つまり、人間は注意散漫な方が気分が良くなるようにできているのです。
だけど、そのまま楽な方に流されていると、どんどん動物的な理性の状態になって行っちゃいますよね。人類はそういう動物的な働きを克服して精神性を高めてきたのに、スマホの出現で、またどんどん精神性が衰えて知能が下がってきてしまっているようです。気の向くままに振る舞っているとどんどん集中できなくなってきて知能が下がっていってしまうんですね。
では、なるべくスマホを見ないようにすればよいのかというと、ただ見ないだけではダメで意識から遠ざけるようにすることが大切なのだそうです。
というのも、例えば、電源を切ってスマホを机に置いておいてもどうしてもスマホのことを意識してしまい、それだけで意識がとられてしまうからです。
さらに、スマホが目に入るたびにスマホを見ないようにしようという意識が働きますが、そうやってスマホを無視しようとする意志は脳の作業領域の10%を使ってしまうとも言われていて、置いておくだけでも集中を妨げて注意が散漫になってしまいます。
なので、スマホは部屋の外に置くとか、せめて目の届かないところ、手の届かないところに置くことが大切になります。
集中力を養う習慣の重要性
結局、マルチタスクは、効率的に見えるけど、長期的に見たら集中力や知能を衰えさせて、効率をどんどん下げてしまいます。
現在社会はやることがたくさんあって大変ですが、目の前に作業に集中して取り組むことが、結果的に作業効率を効率を上げて、大きな成果を得ることに繋がりそうです。
また、マルチタスクを避け、瞑想的な集中力を養うことも重要です。目の前の作業に意識を集中させ、一つのことに徹底的に取り組むことが知能向上に繋がります。このような集中力を高める習慣は、瞑想の実践にも通じるものです。
まとめと展望
マルチタスクの原因はスマホだけではありません。
どんなものであれ、なにかに意識を取られながら行う作業は、知能低下につながる可能性があるから気を付けていきたいところです。
ただ、やはり、現代の最大のマルチタスクの原因はスマホにもなっていそうですので、スマホとの付き合い方も改めて考えていきたいですね。それでも、人類から減った知能をスマホが肩代わりしてくれていると思うとそれも一つの時代かなとも思います。
しかし、集中力というのは知能だけに関わっているわけではありません。
集中力は心のコントロール力の根源であり、心のコントロール力は幸せ力とも言えます。
知能の向上だけではなく、幸せな人生を送るためにも、一日数分の間でもマルチタスクを避けて、一つの物事に集中する訓練を積んでいけると良いですね。
もちろん、瞑想は知能低下を食い止めるどころか、知能を高め、集中力を高めるのに最適な方法ですから、どうぞ日頃からの瞑想を継続してくださいね。
瞑想目線
目の前の物事に意識を集中していくことって、瞑想的な生き方にもとても大切なことになります。
例えば、テレビや動画を見ながらご飯を食べるというのも、集中力的な面から言うと良い事ではなく、食べる時には目の前の食べ物に意識を集中して味わっていくことが大切です。
テレビや動画を見ていたらあっという間に食べ終わって、満腹感だけが残るというような状態がありますが、その時、食べ物の繊細な味の違いなどには気づきません。
よく引用するレオナルド・ダヴィンチの言葉ですが、
理解するための最良の手段は、自然の中にある無限の作品をじっくりと観賞することだ。凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聴くとはなしに聴く。感じることなくただ触れ、味わうことなくただ食べ、身体を意識することなく動く。香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている。
というものがあります。
レオナルド・ダヴィンチという天才の基礎にあったものも、目の前の物事に集中していく集中力だったのだろうと思います。
目の前の物事に意識を集中していくって、意外と難しいと、そもそも自分が集中できていないことに気づける人も少ないものです。自分の知能や集中力の衰えを感じている人がいたら、瞑想会でご相談くださいね。
更に深い理解へ
ちなみに、食事をするとき、他の人と一緒に話をしながら食べた方が楽しいし、有意義ではないかという意見もあると思います。それは確かに一理あります。
ただ、それは、短期目線と長期目線という見方につながるのですが、目の前の短期的な喜びを選択すると、長期的な喜びが失われていくということなのです。
それって、食事だけではなくその他のことに対しても言えることです。例えば、勉強や技能訓練をするよりゲームやおしゃべりをしていた方が楽しいと感じる人の方が多いはずです。
じゃあなぜ、子供に勉強や技能訓練をするように勧めるのでしょうか。
それは、目の前の快楽を取ると、結局自分が苦しむことになるからですよね。
大人になってからもそれと同じように、目の前の快楽を取れば長期的に見ればやはり自分が苦しむことになっていくのです。
そういう真理を悟って、苦しみの元を完全に絶ったのがお釈迦さまです。
そして、瞑想というのはお釈迦様が私たちに、この人生での苦しみを乗り越えてもらいたいと残した教えです。
ですので、目の前にある快楽と、長期的な快楽というのを意識して、バランスをよく生活をしていっていただきたいと思います。
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