ソレじゃなくてもよければソレは生まれない!本質を見極めるたった一つの思考法

ソレじゃなくてもよければソレは生まれない⁉

タイトルだけ読んで
もさっぱり意味が分からないと思いますが、
物事の本質を見極める大切な話です。

目次

ソレじゃなくてもよければソレは生まれない

あらゆる行為や物、思想や概念、
そういった、
世の中のすべてに共通することなのですが、
ソレじゃなくてもよければソレは生まれない
ということがあります。

例えば、このブログでも記事にしている
「四国お遍路」というものがあります。

これは、四国にある88か所の
お寺をお参りしながら歩くことなのですが、
お遍路をする人の目的はそれぞれです。

お寺が好きだから巡る人、
お祈りごとがあって巡る人、
運動のためにと巡る人、
誰かの付き添いで巡る人、

などなど

しかし、もし、
お寺が好きだから巡るのであれば、
なにも四国じゃなくてもいいわけです。

お祈りごとがあって巡るなら、
お寺じゃなくても教会でもいいわけです。

運動のために巡るなら、
ハイキングとか登山でいいわけです。

誰かの付き添いで巡るなら、
ガイドさんが行ってもいいわけです。

じゃあ、四国遍路じゃない
といけないわけってなんでしょうか?

そう考えると、
「四国遍路」とはなにか
ということが分かってきます。

ソレじゃなきゃいけない
理由を考えることで、
その物事の本質を
抜き出すことができるんです。

遍路だとあまりなじみがなくて
理解し難いかもしれませんね。

では、例えば電子レンジです。
食べ物を暖めるなら、
オーブントースターでもいいわけです。

フライパンでもいいわけです。
ストーブでもいいわけです。

だけど、電子レンジは
それらには代えられないですよね。

なぜ代えられないのか、
そこに電子レンジの本質があります。

行為や言葉も同じこと

そういうことはどんなことにも言えます。

瞑想もそうです。
私が瞑想をしたいという人の
目的を聞くのは、
その目的達成のための
本質を知るためです。

例えばある人が
「怒りっぽさをなくしたい」という
目的を持っていたとします。

その時、怒りっぽさをなくす方法は
瞑想じゃなければならないのかと考えます。

もし、イエスなら瞑想をしますが、
もし、ノーなら瞑想以外のことも
教えていきます。

もちろん、瞑想は役に立つのですが、
怒りっぽさをなくすための方法は
瞑想が唯一ではないわけです。

これ、話が複雑になるかもしれませんが、
いつもこのサイトに遊びに来てくださる方は
絶対にわかってもらえると思って書きます。

そもそも、
「瞑想で目標を達成しよう」というのは
話があべこべなんです。

本来であれば、
先に目標があり、その後に、
それをどう達成するかの
手段を考えていくのが普通です。

瞑想をやってみようと思っても続かない人の理由はここにあります。

瞑想をすればなにか変わるんじゃないか、
そういう思いで始めるから
瞑想がつかみきれずに離れていきます。

本来であれば、
目標を設定し、
その目標達成のために
瞑想をしなければならない
(ソレじゃなきゃいけない)
という順番で考えなければならないはずです。

もちろん、瞑想をしようと決めて、
そのあとに目標を設定していくことには
大賛成です。

それに、瞑想というものが
どういうものかもわからないのに、
「目標達成の手段は瞑想しかない!」
と思えることもまずないと思います。

ただ、本質的な話としては、
本来話があべこべだと言ことですね。

まず、自分の目標を達成するために、
他の方法を検討したのか、
その目標を達成するための手段として
ソレじゃなきゃいけないといえる要素はなんなのか、
そういうことを考えてみる必要があります。

なぜそんなうるさいことを言うかというと、
そういうことを考えるのが
すでに瞑想なんです。

つまり、今まさにこうやってあなたに
瞑想を実践してもらっているのです。

瞑想は足を組んで座ることではありません。

瞑想が足を組んで座ることだとしたら、
足のない人のする瞑想は瞑想ではなくなります。

目を閉じて考えることが瞑想?
それなら、寝る前はいつでも瞑想です。

じゃあ、瞑想っていったいなんでしょう?

瞑想が瞑想じゃなきゃいけない理由、
他のものに変えられない理由ってなんでしょうか。

それを考えると、
最後に残るのは、

生活の中で本質を見極めて生きていく

ということなんです。
そのことに気づくと、
世界はとても合理的で、
余すところも欠けるところもなく、
完全円満な世界であると気づきます。

ソレができるのは瞑想しかないんですね。

まとめ

本質を見極めるたった一つの思考法とは、
「ソレじゃなければいけない理由を考える」
ということです。

物事の本質を見極めるということは、
思考のどん詰まりまで行くということです。

多くの人は、思考のどん詰まりに行く前に、
思考の放棄をします。

「そんなの人それぞれの価値観だ」
「そんなの答えが出るわけない」
「それは難しい問題だ」
「考えたってわかるわけない」

そうやって思考を放棄します。

考えるという活動は結構大変なことですよね。

だけど本当は、
考えることってものすごく楽しい行為です。

多くの人が考えることを
苦手とするのには理由があります。

それは、答えが出ないという状態を
苦痛に思うということです。

ただそれって、
ちょっと考え方に手を加えると
簡単に乗り越えられるんです。

もし、「考えること」を
得意にしたいという方がいたら、

是非そらいろ瞑想ラボの
記憶術講座を受けてください。

脳の使い方が劇的に変わります。

瞑想も結局、脳をどう使うかの問題です。
すべては一本の線で繋がっているのです。

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