仏教には「維摩経」というお経があります。
このお経には「維摩居士」という一人の男の人が出てくるのですが、
この人は僧侶ではないのです。
しかし、その辺の僧侶よりも仏の真理を知り、
仏の道を歩いている人です。
維摩居士の元に多くの僧侶が訪れ問答をするのですが、
ことごとくやり込められてしまいます。
そして、最後には智慧を司る仏の文殊菩薩が出向いて言って…
という面白いお経なんです。
このお経の中に出てくる一説に、
こんな話があります。
(意訳も入っています)
もし今、町が飢餓に襲われ、わずかの食べ物しかなかったとします。
自分の食べるものすらままならない状態です。
その時に、飢えに苦しむ人から食料を分けてくれと懇願されたとします。
その時、
「もし自分がこれをやってしまったら、私はなにを食べたらよいのだ」
こう考えるのは利己主義で悪魔の考えだと言います。
しかし、そうではなく本物の愛を持った考え方とは
「もし自分がこれを食べてしまったら、私はなにを与えればよいのか」
そう考えるのだと言います。
そういう大らかな精神を持つことによって、
神々の王ともなれるのだと説きます。
瞑想というのはそういう精神性を身につけることそのものです。
これから数年、あるいは数十年、
世界経済は混乱期に入ると思います。
こんな時だからこそ、
今までの生き様を問われることになると思います。
日ごろから人間力の修練を怠らずに行きましょう。
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