皆さんは「1万時間の法則」というのを知っていますか?
これは、どんなことでもトータル1万時間くらい勉強したり訓練したりすれば、プロレベルまで行けるというようなことです。
先日、そんな話をしている人たちがいたのですが、
その会話の相手の一方が、
「いや、おれはそんなことないと思う。人によって努力する時間も違えば、能力も違うわけじゃん。だから、一概に1万時間とは言えないと思うよ」
というような反論をしていました。
こういう話の流れって良くあります。
だけど、これ、構造的に話の流れがおかしいんです。
というのも、「1万時間の法則」というのは抽象化した話です。
もちろん、中には千時間で達成する人も、逆に2万時間かかっても達成できない人もいます。
また、1万時間というのは正確に1万時間なのではありません。
それくらいの取り組みをすれば成功するということです。
1万時間というと、毎日9時間取り組み約3年かかることになりますが、
3年間毎日8時間しか取り組まず、総時間が1000時間足りなかったとしても、
それはそれで抽象化された「1万時間の法則」ということになります。
抽象的な会話を具体化するときにやりがちなのは、
個別の例外的な事例を引っ張ってきて抽象的な会話を否定することです。
このことを簡単な例で表現してみます。
・1万時間勉強すれば試験に受かる
という命題があったとします。
これは
AはBであるという風に置き換えられます。
A(1万時間勉強する)はB(試験に受かる)である。
ということです。
しかし、これ、AはBである=BはAであるとはならないんです。
つまり、1万時間勉強すれば試験に受かるとしても、
試験に受かった人は1万時間勉強しているとはなりません。
もっと簡単にいうと、
A(犬)はB(動物)である
と言った時、
=B(動物)はA(犬)である
とはならないのと同じです。
最初の話に戻すと、
私が会話を小耳にはさんだ、
反論をしていた人はそもそも
反論にはなっていないんですよね。
ただ、当たり前のことを言ったにすぎません。
それなのにわざわざ相手の言ったことを
「私はそう思わない」と否定するのは、
コミュニケーションとしてもったいないですよね。
相手の言葉に否定する要素を見つけるより、
共感できる点にフォーカスする方がコミュニケーションは上手くいきます。
後記
ちなみに、もし、
そうやって反論として相手から返された場合の対処法ですが、
「いや、それは抽象的な問題を例外的な具体例に当てはめてる!」
なんていう反論をしてはいけませんよ。
その時は、
「1万時間の法則にあてはまらない人も確かにいるよね」
と、例外的な具体例をさらに抽象化して、
相手の話を受け入れればいいだけです。
これは、大人の対応をした方がよいと言っているわけではありません。
本質的に考えると、多くの場合、誰の意見も決して間違っているわけではなく、
ただ、フォーカスしている目線が違うだけだから、
わざわざそれを自分の目線に合わせるのではなく、
自分が相手と同じ目線で見てみればよいだけのことです。
そうした方が学びも大きいです。
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