瞑想を学んでみようとする方は何かしらの問題や目標を持っています。私のところにも日々色々な方からお問合せが来ます。そんな中で、勉強になるなぁ、と思ったことがいくつかあったのでシェアしていこうと思います。※内容自体はもう話してもよいくらい昔のことです。
事例1:対人関係に悩んでいるという約束を守らない人
以前、「いつも対人関係でうまくいかない」という方から連絡が来て、実際に何度か瞑想を教えさせていただいたことがあります。
しかし、度々ドタキャン、無断キャンセルがあり、そのうち連絡が来なくなりました。
また、対人関係での相談をメールでいただいたこともあったので、私なりの見解をかなりの長文で返答させていただきましたが、その後、そのことに対する返信はありませんでした。
この方は、瞑想をして対人関係の問題をなんとかしたいと考えていたようですが、
これは明らかに、瞑想をする前に「約束を守る」ということをした方が良いのではないかと思います。
事例2:怒りが抑えられないというお礼を言わない人
以前、相手をせめたてて感情的になってしまうという人から連絡が来ました。
その方が、なにか良い瞑想方法はないかというのでメールで長文回答させていただきました。
しかし、そのことについてのお礼はなく、また次の疑問が出てきたときにだけ、また連絡が来ます。
その際もやはり回答させていただくのですが、やはりお礼はありません。
この方も、瞑想をして怒りをおさめたいと考えているようでしたが、その前に、人に対して感謝する心を持つことから始めるべきだと思いませんか?
人に対する感謝の心を忘れているから、非ばかり責めるようになってしまいます。
事例3:瞑想を学びたいという、考えることを放棄している人
以前、「良い恋愛ができるための瞑想を教えてくれ」というご相談を頂いたことがあります。
私はちょっと考えました。
「良い恋愛をするための瞑想ってなんだ…」
でも、そこは専門家ですから、一応自分なりに答えを見つけたんです。
でも、ちょっと考えます。
「いくらなんでもこの相談って投げすぎじゃないか?」と。
すぐに教えてあげたい気持ちは山々ですが、
多くの人は人から簡単に聞いたことは聞いただけで実行しません。
そこで、ちょっとご本人にも考えてもらうために質問してみました。
「回答をする前に、一つご質問なのですが、『良い恋愛をするための瞑想』ってどのようなものだと○○さんはお考えですか?」
すると、
もう返信は返ってきませんでした。
自分で考えることはしないのに、人の知識や時間は簡単に奪う。
良い恋愛をするためには、瞑想をしてないでまず、自分が当たり前に受け取るばかりのその姿勢を直さなければいけないと思いませんか?
事例4:チャクラを開きたいというその言葉でチャクラを閉じる人
以前、チャクラを開くための技法の問合せをしてきた人がいます。
メールでの問い合わせでしたが、自己紹介も挨拶もなにもなく、
「チャクラ瞑想のやり方はこれであっていますか?」
という趣旨の質問でした。
これは正直、答えてあげたかったのですが、
回答する前に音信不通となりました。
というのも、チャクラというのは「霊性の開花」です。
つまり、チャクラというのはその人の魂の在り方、人間性と呼応しています。
だから、チャクラを開こうと思ったら、まず何よりも、
人としての在り方を正すことが大切なのです。
例えSNS上と言っても、教えてもらうなら挨拶をきちんとし、
相手が応えてくれたのなら自分の意に沿わない回答であっても感謝をすること。
礼節を持ち、人を尊重していくこと。
それこそがチャクラを開く基礎にして一番確実な方法なのです。
そこで、
「丹田にパワーストーンをはっつけて瞑想すればチャクラは開きますか?」
とだけ言われても、私もウソをつくわけにもいかないですから、
上記のようなチャクラの真実を説明し、パワーストーンよりも、質問をするというのは回答してくれる相手の時間を奪うことでもあり、また、その人が膨大な時間をかけて手に入れた知識を分けてもらうことでもあるのだから、まずはしっかりと挨拶をすることがチャクラ開花への一番の近道です。
とお伝えするわけです。
そうすると、もう返信は返ってきません。
「瞑想」の世界は真実を言わざるを得ない
ここに、もうそろそろ話してもいいだろうという事例を取り上げさせてもらいましたが、これは「嫌な人」ということで挙げているわけではありません。
今この事例を読まれたほとんどの人は、私の考え方に納得してくださると思います。
だけど、直接それを言われた本人は、真実であっても良い気はしていないと思います。
人は誰でも、自分の失敗や自分の短所を指摘されるのは好きじゃないものです。
まして、悩みの中にいる人は、今見てきたように、たとえ自分自身が悩みの原因を作り出しているとはいっても、その悪循環の中にいる限り、正面向いて自分の短所とは向き合えないものです。
そういう気持ちもわかりますので、少しでもお力になれるようにと返信は心掛けていますが、じゃあ、素直に相談者の気持ちに沿う回答をしたらどうなるでしょうか。
これ、似たような事例で違う対応をしたことがあるので、その時のことを例に挙げておきますと
事例1:対人関係に悩んでいるという約束を守らない人
に対して気持ちに沿う回答をする
=結局返答なし
事例2:怒りが抑えられないというお礼を言わない人
に対して気持ちに沿う回答をする
=結局お礼は言わない
事例3:瞑想を学びたいという、考えることを放棄している人
に対して気持ちに沿う回答をする
=教えてもやらない
事例4:チャクラを開きたいというその言葉でチャクラを閉じる人
に対して気持ちに沿う回答をする
=多くの場合その後連絡なし
結局、私が正しいと思う厳しいことを言っても、柔らかく一般的な回答を返してもどちらも結論はほぼ変わりません。
こういう方たちへの回答によって唯一変わるのが
正しいことを伝える=私が嫌われて連絡がこなくなる
妥協して優しく伝える=私が嫌われずに連絡がこなくなる
ということだけです。
そうであるなら、やはり、私は嫌われても正しいことを伝えていく選択をします。
前に書いた「100人に嫌われて、一人のファンを作れ」というのはまさにそういう信念のお話です。

瞑想というのは霊性の向上を目指すものである以上、
どうしても伝えるべきことに妥協できない時があります。
時に厳しいことを書いたり言ったりしなければならないこともありますが、
ご理解いただけると嬉しいです^^
いずれにしても、こういう方たちのお陰で私自身色々と学ばせていただいていることは間違いありません。
瞑想やチャクラ開花をする前に変えるべきこと
禅の修行道場には厳しい生活規範があります。
食事のとり方、掃除の仕方、洗面の仕方、
生活のすべてにおいてそうした規範があります。
それは、禅の修行をするものは、そういう人として当たり前のことを当たり前にこなさなければいけないということからです。
掃除ができない人は瞑想をしている場合ではありませんし、
約束を守れない人は瞑想をする資格すらありません。
瞑想というのは心を鍛え上げるためのものです。
傲慢な人が瞑想をすれば肝の据わった傲慢な人間が出来上がるだけです。
以前、何に対しても文句ばかり言っている人に瞑想を教えたことがあります。
その人は最後には結局、瞑想を文句の材料に変えて来なくなりました。
瞑想やチャクラ開花をする前に、正しい考え方を身につけ、人として当たり前の立ち居振る舞い、礼節を身につけることを心掛けて頂きたいと思います。
今回取り上げたような人たちはごく一部ですが、私達もその人たちから学ぶことがたくさんあります。
どんなことも学びの材料にしていきたいですね。
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