理解するための最良の手段は、自然の中にある無限の作品をじっくりと観賞することだ。凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聴くとはなしに聴く。感じることなくただ触れ、味わうことなくただ食べ、身体を意識することなく動く。香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている。
レオナルド・ダ・ビンチ
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あらゆる分野に精通し、
天才的な能力を発揮した、
史上最高の画家の一人と
評されるダビンチの言葉です。
この考え方は瞑想にも通じます。
瞑想とはあらゆることに
意識的になることでもあります。
瞑想ではよく「気づき」
という言葉が使われますが、
それも同じことです。
常に気づいていること、
常に意識的であることが瞑想の在り方です。
四書五経のなかの「大学」にも
同じような記述があります。
心がここになければ見ても見えず、
聞いても聞こえず、
食べてもその味が分からない
日常の中で意識的でないということは、
良いことがあっても気づかず、
感謝すべきことがあっても感謝せず、
直すべきことがあっても直せず、
人が求めていても気づかず、
学ぶことがあっても学び得ず、
感動があっても感動しえず、
楽しみがあっても楽しみ得ず、
というように、
なににも気づかないで時間が過ぎていきます。
瞑想というのはそういう状態をなくし、
意識的に生きていくことです。
それが分かると、
美味しいものを食べるのではなく
美味しく食べるのであり、
楽しいことを探すのではなく
楽しむのであり、
好きな人を見つけるのではなく
好きになるのであり、
やりがいを見つけるのではなく
やりがいにまで高めるのであり、
できない理由に意識を向けるのではなく
できることに意識を向けるのであり、
ー。
世界がまったく違うものに見えてきます。
瞑想の個々の技法は呼び水であり、
それを通して日常を瞑想的に
生きていくようになることが大切です。
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